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映像とものがたり

静寂の中に宿る光 ― 映画『PERFECT DAYS』が記憶に残る理由

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映画に刺激や驚きを求める私たちは、ときに「静かすぎる物語」に戸惑う。そこに感動のクライマックスはあるのか?感情を揺さぶる劇的な展開は?そういった問いを抱えたまま、ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』を観始めると、しばし拍子抜けするかもしれない。

本作の主人公・平山(役所広司さん)は、東京都内の公共トイレを清掃する男だ。黙々と、しかし丁寧に、日々の仕事をこなす。朝、目覚め、顔を洗い、植物に水をやり、小さな車に乗って現場に向かう。車のカセットデッキから流れるのは、ルー・リードやパティ・スミス。彼の一日はほとんど変化がない。

地味である。非常に地味だ。けれど、その“地味さ”こそが、なぜか心に染みてくる。

平山という存在の“地味さ”と“特別さ”

平山は、人目に触れにくい仕事に、静かで揺るぎない誇りを抱いている。ときに不快な作業に直面し、すれ違う人々の視線や無神経な態度に傷つくこともある。それでも彼は、誰に見られていようといまいと、便器の縁の奥まで丁寧に磨き上げる。その姿に、目を引くような劇的な展開はない。だが、ただ黙々と働くその佇まいから、彼という人間の“在り方”が、ひとつの確かな美しさとしてにじみ出てくる。

仕事を終えると、缶コーヒーを飲み、本を読み、銭湯に行き、眠る――そんな代り映えのしない日々が淡々と繰り返される。けれど、その繰り返しの中に、なぜか心を奪われる瞬間がある。木漏れ日の揺らぎ、鏡越しにふと映る視線、昼休みに撮るモノクロ写真。それらは、誰の目にも触れない“静かな生”の痕跡であり、確かな証でもある。

平山は孤独でありながら、孤立してはいない。ただ静かに、誠実に、都市の片隅で生きている。その揺るぎない姿勢に、私たちはどこかで憧れのような感情すら抱いてしまう。

毎日、数えきれない人々が利用する公共トイレ。その清潔さを当然のように受け止めてしまう私たちは、ときに想像しなければならない――この清潔さの背後に、誰かの地道な仕事があることを。そして、その見えない手に、静かな感謝を向けるべきなのだ。

何も起きないことの意味 ― ニコとタカシの存在

そんな平山の静かな暮らしに、小さな波紋を投げかけるふたりの人物が登場する。ひとりは、姪のニコ(中野有紗さん)。もうひとりは、若い職場の同僚・タカシ(柄本時生さん)だ。

ニコは、家を飛び出し、突然平山の部屋に転がり込んでくる。平山は最初こそ戸惑いながらも、彼女を拒むことなく、静かに迎え入れる。近づきすぎることも、突き放すこともせず、自分なりの距離感を保ちながら接する。そしてやがて、彼女をそっともとの世界へと戻す。強く引き留めることもなく、背中を押すこともなく、あくまで“通り過ぎるもの”として扱うのだ。

一方のタカシは、仕事に対していい加減で、頻繁にサボる。その態度はあまりにも無責任で、見ているこちらが苛立ってしまうほどだ。年齢差を差し引いても、平山とは対照的な存在として描かれている。軽薄さすら感じさせる言動に、平山が意識的に距離を置いているようにも見える。だが、それだけで片付けられる関係でもない。

平山は、タカシを叱ることも、会社に報告することもない。無関心ではなく、かといって干渉もせず、ただ静かに彼の存在を見つめている。そのまなざしは、突き放すでもなく、手を差し伸べるでもない、独特の間合いを保ったものだ。

物語が進むにつれ、タカシへの苛立ちは募る。もしかすると、この映画でもっとも感情を揺さぶられたのは、彼に対してだったかもしれない。平山が適度な距離を保とうとしても、タカシは何かと近づいてくる。その距離を断つ術も、突き放す強さも、平山にないはずがない。それでもなお、彼はタカシをどこかで受け入れてしまっているように見える。

もしかしたら、かつての平山自身にも、ああいった一面があったのだろうか……と一瞬思いを巡らせる。けれど、口先ばかりのタカシに対して、平山は終始寡黙で実直だ。その対比があまりに明確で、二人を重ねることは難しい。ならばきっと、平山は知っているのだ。人生の“過渡期”にある人間を責めることの空しさを。そして、そこに踏み込まずに見守ることが、時として最大の理解であるということを。

その距離感は、弱さではなく、あたたかな受容と静かな許しに近いものだ。

ニコとタカシ――このふたりの存在によって、平山という人物の輪郭はより鮮明になる。彼は「優しい」のではない。「受け入れている」のだ。そしてそれは、言葉にするほどたやすいことではない。

都市に生きる私たちの“共感”

なぜ、この映画がこれほどまでに記憶に残るのか。思い返せば、劇的な展開も、深い人間ドラマもなかった。ただ静かに日々が過ぎていっただけなのに、なぜか忘れられない。

おそらく、私たち自身が、似たような瞬間を日常の中で経験しているからだろう。仕事の帰り道に見る夕暮れ、ふとした通勤途中の音楽、決まった朝のルーティン。誰に見られることもなく、ただそこにある“生活”の美しさ。そのひとつひとつを、この映画はそっとすくい上げてくれる。

そして、平山のように、誰にも気づかれず、しかし誠実に毎日を生きる人々を、私たちは都市のどこかで見かけている。あるいは、自分自身がそうかもしれないと、ふと気づくのだ。

静かなる余韻としての映画体験

『PERFECT DAYS』は、ストーリーを追う映画ではない。“何が起こるか”ではなく、“誰がどう生きているか”を見つめる映画だ。画面の静けさに、物足りなさを感じる人がいるかもしれない。それでも、この作品を観た人の多くが、何かを「感じた」と語る。その“感じたもの”は、たぶん言葉にならない。

けれど、その曖昧で微細な感覚こそが、映画という表現の奥行きなのだろう。音楽でも、文学でも、そして人生そのものでも、説明できない感動が一番長く残る。

役所広司さんが演じる平山の、あの穏やかな笑顔と、最後の涙――それらは、誰の心にもきっと、小さな余韻として残り続ける。

PERFECT DAYS
出典:Amazon

作品情報

タイトル: PERFECT DAYS
監督: ヴィム・ヴェンダース
脚本: ヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬
主演: 役所広司、田中泯、中野有紗、柄本時生、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、三浦友和 ほか
製作国: 日本・ドイツ合作
配給(日本): ビターズ・エンド
劇場公開日(日本): 2023年12月22日

Blu-ray/DVD ほか

VOD(ビデオ・オン・デマンド)

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