「この映画、もうネットで見れるよ」
「え、それって『見られる』が正しいんじゃないの?」
こんな会話を聞いたことはありませんか?
日常会話でよく使われる「見れる」という表現。でも、学校では「見られる」が正しいと習った記憶がある……。
この記事では、「見れる」と「見られる」の文法的な違いや、正しい使い分けについてわかりやすく解説します。
「見れる」は誤用?結論から言うと…
結論から言えば、「見れる」は口語的な言い方、いわゆる「ら抜き言葉」であり、文法的には誤りとされることが多いです。
特に学校教育や公的な文書では、「見られる」が正しい表現とされています。
なぜ「見れる」と言ってしまうのか?
その理由は、「〜られる」の形が持つ意味の多さにあります。
日本語では、「〜られる」には以下の4つの用法があります。
- 可能(〜できる)
- 受け身(〜される)
- 尊敬(〜なさる)
- 自発(自然と〜してしまう)
このうち、「可能」の意味に限定して使いたいときに、「ら」を抜いた「見れる」という言い方が広まってきたのです。
「ら抜き言葉」とは?
「ら抜き言葉」とは、「見られる」「食べられる」などの可能表現において、「ら」を抜いて「見れる」「食べれる」とする言い方です。
例:
- 正しい表現:この映画は見られる(可能)
- ら抜き表現:この映画は見れる
特に、一段動詞(語尾が「る」で終わる動詞)では「ら抜き」になりやすい傾向があります。
「見る」「食べる」「信じる」「寝る」などがこれに該当します。
「見られる」の4つの文法的な意味
「見られる」には以下の4つの意味があります:
- 可能:その映画は見られる(=見ることができる)
- 受け身:人に見られる(=誰かに見られる)
- 尊敬:先生が見られる(=「見る」の尊敬語)
- 自発:昔のことがふと見られる気がする(=自然に思い浮かぶ)
このように、「見られる」は文脈によって意味が大きく変わります。
一方「見れる」は、可能の意味に限った口語表現です。
なぜ「見られる」が正しいのか?
「見る」は一段動詞なので、文法的には「見られる」が正しい活用です。
- 一段動詞(例:見る・食べる・信じる)→ 可能形:見られる・食べられる
- 五段動詞(例:書く・話す・読む)→ 可能形:書ける・話せる・読める
五段動詞は自然に可能形を作れますが、一段動詞は助動詞「られる」を使って可能形を作る必要があります。
この変化が煩雑なため、口語では「ら抜き言葉」が使われやすいのです。
「見れる」はどこまで許容される?
近年、「見れる」「食べれる」といった表現は、若者言葉だけでなく、メディアや広告でも見かけるようになりました。
言葉は時代とともに変化するもの。将来的に「ら抜き言葉」が一般的な表現として受け入れられる可能性もあります。
ただし、現時点では以下のように使い分けるのが無難です。
使用シーン | 見れる | 見られる |
---|---|---|
友人との会話 | ○(口語的) | ○(丁寧) |
学校のレポート | △(避けたい) | ◎(正解) |
就職活動のエントリーシート | ×(不適切) | ◎(推奨) |
公的な文書・報告書 | × | ◎ |
まとめ
- 「見れる」は「ら抜き言葉」で、文法的には「見られる」が正しい。
- 「見られる」は、可能・受け身・尊敬・自発の4つの意味を持つ。
- 一段動詞の可能形には「られる」を使うのが文法的に正しい。
- 「見れる」は口語で広く使われているが、正式な文章では注意が必要。
「見れる」と「見られる」。たった一音の違いですが、背景には深い文法的ルールがあります。
場面に応じて適切に使い分けることで、より正確で美しい日本語が身につきます。
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