「こちら、コーヒーになります。」
喫茶店でよく耳にする一言だ。客としてその言葉を聞いたとき、私たちはたいてい黙って頷く。違和感を口に出す人は少ない。しかし、その違和感はたしかに、言葉の奥に沈んでいる。
「コーヒーになります」――何になるのか。もともとコーヒーだったものが、ここで改めてコーヒーに「なる」のか?
もちろん、誰も本気でそんな問いを立てるわけではない。けれど、その曖昧な感覚が言葉の美しさを少しだけ曇らせるとしたら、書き手として見過ごすわけにはいかない。
本稿では、「〜になります。」という表現がなぜ丁寧に聞こえるのか、なぜ文章では違和感を覚えるのか、そして私たちはその言葉をどう使い分ければよいのかを、文芸的な視点から考えてみたい。
第一章:「〜になります。」が広がった背景
「〜になります。」という言い回しは、接客業を中心に広く使われるようになった。「少々お待ちいただきますと、担当者につながります」「こちら、ご注文の定食になります」――どれも、どこかで聞いたことのある響きだ。
おそらくその背景には、「〜です」「〜でございます」といった表現では足りない、あるいは固すぎるという現場の感覚があるのだろう。
「〜になります」は、やわらかく、丁寧で、過剰ではない敬意をまとっている。いわば、現代の「中庸の敬語」とでも言おうか。
ただしそれは、「聞かれる」ことを前提とした言葉であり、「読まれる」文章にそのまま持ち込めば、空気が変わる。
第二章:言葉が意味すること、意味しないこと
「なります」という動詞は、本来「状態の変化」を表す。
「彼は医者になります」「春になります」
そこには、「前と今は違う」という明確な時間的・状態的断絶がある。
では、「こちら、刺身定食になります」と言ったとき、何が変化しているのだろう。厨房から配膳されたことで「皿の上の何か」が「刺身定食に変わった」のか? もちろん、そうではない。
実際には、「これは刺身定食です」と言いたいだけなのだ。ならば、なぜ「なります」と回り道をするのか。
そこには、「断言を避ける」という日本語特有のやわらかさと、「あくまで謙遜する」という接客的配慮の文脈が交差している。
第三章:書き言葉では何が起きるのか
書き言葉においては、「やわらかさ」よりも「明瞭さ」「簡潔さ」が求められる場面が多い。
たとえばビジネスメールで、
「次回の打ち合わせは、3月10日となります」
と書かれていれば、なんとなく角が立たないように思える。
だが、「3月10日です」と書いても、相手を傷つけるわけではない。むしろ、簡潔で読みやすい。
「〜になります」は、音声で伝えるときのクッションのような役割を果たすが、書かれた文章の中では、そのクッションが冗長に映ることがある。
特に、情報量の多い文章では、この冗長さが読者の集中力を削ぐことさえある。
第四章:「〜になります。」が適している文章もある
もちろん、すべての「〜になります。」が悪いわけではない。
書き言葉においても、「やわらかい語り口」や「接客的トーン」が必要な場面は存在する。
たとえば、ブログやコラム、案内文などで、
「次回のイベントは、6月1日開催になります」
という表現を使えば、断定的すぎず、読み手に寄り添った印象を与えることができる。
また、「変更になります」「対象となります」など、変化や範囲を表す語句との相性もよい。
要は、「なにを・どう伝えるか」によって、言葉の適否は変わる。大切なのは、選ぶ意識そのものだ。
第五章:言葉を選ぶということ
敬語は、その本質において「関係性を調整する技術」である。
書き手が読み手にどう接したいか――その意志が、言葉づかいに反映される。
「〜になります。」は、相手に配慮する優しい言葉である一方、過剰に使えば文章を曇らせてしまう。
私たちは、ただ「丁寧であればよい」という思考から抜け出し、「どんな丁寧さが最適か」を考える段階に来ているのかもしれない。
言葉には、単なる意味以上の「態度」がある。その態度が、読む人の心を温かくするか、冷たくするかを左右する。
「〜になります。」は、便利な言葉だ。だが、便利な言葉ほど、丁寧に扱いたい。
結び:言葉の奥にある気配を感じながら
日本語には、「言い切らない」「断定しない」ことによって、むしろ深く伝える力がある。
「〜になります。」という一見あいまいな表現にも、人の心を傷つけないようにする思いやりが込められている。
しかし、思いやりは「かたち」ではなく「こころ」から生まれる。かたちだけが残ってしまえば、言葉は空洞になる。
私たちは、もっと自由に言葉を選べる。
丁寧でありながら、簡潔で、誠実な日本語を――今日もまた、探し続けていきたい。