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『沈黙』遠藤周作 ‐ 江戸時代のキリシタン弾圧を題材にした歴史小説【書評】

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この記事では、遠藤周作氏(1923 – 1996)の小説『沈黙』について、そのテーマや登場人物、物語の魅力をさまざまな角度から掘り下げていきます。

沈黙 遠藤周作・著

沈黙(新潮文庫/遠藤周作)
出典:Amazon

書誌情報

書名:沈黙
著者:遠藤周作
出版社:新潮社
発売年月:単行本 1966年3月/文庫本 1981年10月/電子書籍2013年3月
ページ数:単行本 257ページ/文庫本 320ページ

江戸時代のキリシタン弾圧を題材にした歴史小説

『沈黙』は、江戸時代のキリシタン弾圧を題材にした歴史小説です。
遠藤周作氏(1923 – 1996)によって1966年に書き下ろされ、新潮社から刊行されました。
第2回(1966年)谷崎潤一郎賞を受けた作品です。
当時、カトリック教会からの反発はありましたが、国内外から高い評価を得ました。

本作は、江戸時代初期の史実を基にしています。
作品で描かれている時代は、島原の乱が鎮圧されて間もないころです。
キリシタンの弾圧や宣教師の苦難が描かれています。

その頃の日本は、鎖国政策を敷き、ポルトガル人宣教師らを日本から追放しました。
日本に潜伏しキリスト教の布教活動を続けようとする宣教師は迫害を受けます。
過酷な弾圧が始まった日本の状況は、ヨーロッパにも伝わります。

日本で布教活動をしていたイエズス会の司祭に、フェレイラという高名な人物がいました。
そのフェレイラが拷問により棄教したという信じられない噂がイエズス会の本部に届きます。

その知らせは、フェレイラの2人の弟子、ロドリゴとガルペというポルトガル人の若い司祭にも伝わりました。
2人は、真相を探るために日本に向かうことを決意します。

日本へ向かう途中に寄港したマカオで、ロドリゴとガルペの2人はキチジローという日本人に出会います。
キチジローは、気弱で頼りなさそうな男です。
しかし、日本での案内役が必要なロドリゴとガルペはキチジローと一緒に日本へ向かうことにしました。

日本に到着したロドリゴとガルペは、キリスト教弾圧下の日本で、隠れキリシタンたちの歓迎を受けます。
しかし、キリシタン狩りが行われている中で、いつまでも潜伏していることは容易ではありません。

ガルペは、殉教する信者を追うように、自ら海に入り命を落としたのです。
それは、ロドリゴの目の前で起きた出来事でした。
またロドリゴは、キチジローの裏切りにも遭います。

ロドリゴは長崎に連れていかれ、再び試練が訪れます。
そこでは、師であるフェレイラと再会を果たしました。
フェレイラは、やはり棄教していました。

ロドリゴは、長崎奉行の井上筑後守から棄教することを求められても応じません。
いわゆる転びバテレンとなったフェレイラの説得も拒絶します。

しかし、ロドリゴが棄教しなければ、信者たちの拷問が続くことを伝えられます。
長崎奉行の牢の中にいるロドリゴの耳には、拷問される信者たちの呻き声が遠くから響いてきました。
ついに、ロドリゴは信者たちを救う道を選ぶのです。

棄教したロドリゴはその後、処刑された下級武士岡田三右衛門の名前を与えられ、岡田三右衛門の元妻子と暮らすことになります。
ロドリゴは、実在したイタリア人神父ジュゼッペ・キアラをモデルにしているようです。
ジュゼッペ・キアラは、1643年に日本に上陸した人物です。

また、フェレイラに関しては、実在したクリストヴァン・フェレイラという、ポルトガル出身のイエズス会宣教師がモデルになっています。
フェレイラは、沢野忠庵と名乗ってキリシタン取り締まりに協力した人物です。
小説『沈黙』の中では、歴史上の人物であるフェレイラが同名で登場しています。

小説『沈黙』は、過去に2度映画化されました。

1971年に原作者の遠藤周作氏も脚本に加わり日本映画が製作されています。
映画タイトルは『沈黙 SILENCE』。
監督は篠田正浩氏で、日本人の出演者は岩下志麻氏や三田佳子氏、丹波哲郎氏ら。
脚本を担当したのは、遠藤周作氏と監督を務めた篠田正浩氏です。

2016年には、マーティン・スコセッシ監督によるハリウッド映画が公開されました。
タイトルは『沈黙 -サイレンス-』です。

小説『沈黙』の結末は、刊行当時にセンセーションを巻き起こしました。
遠藤周作氏は、カトリック教会から強い反発を受けます。
その反面、『沈黙』は世界中で翻訳され、著名なイギリス人小説家グレアム・グリーン氏らは高く評価しました。
もちろん日本での評価も高く、戦後の日本文学を代表する作品のひとつに挙げられています。

遠藤周作氏はキリスト教との関わりが深い小説家です。
12歳のときにカトリックの洗礼を受けました。
洗礼を受けたのは、伯母の影響があったからです。
終戦後に大学に通い、フランスのカトリック文学を学びました。
さらに、フランス留学も果たしています。
その後、キリスト教を主題に多くの作品を執筆しました。

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