評論・随筆・その他

『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』堀川惠子 ‐ 船舶輸送の実態と司令官の苦悩【書評】

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この記事では、堀川惠子氏の著書『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』を紹介します。

暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ 堀川惠子・著

暁の宇品/堀川惠子
出典:Amazon

書誌情報

書名:暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ
著者:堀川惠子
出版社:講談社
発売年月:単行本 2021年7月/電子書籍 2021年7月/文庫本 2024年7月
ページ数:単行本 394ページ/文庫本 480ページ
Cコード:C0095(日本文学・評論・随筆・その他)

船舶輸送の実態と司令官の苦悩

広島県の宇品に旧日本陸軍最大の輸送基地があった。通称「暁部隊」。宇品港を作った広島県令(知事)千田貞暁の一字を取って、そう呼ばれていた。「暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」は、その陸軍船舶司令部を描いたノンフィクションである。

兵隊と物資を輸送する旧陸軍船舶司令部。「船舶の神」と称された陸軍中将の田尻昌次司令官をはじめ、歴代司令官とその参謀たち、そして船舶技師らが主たる登場人物。本書の軸は田尻氏の自叙伝。未公開だったが、遺族の協力により本作の執筆が実現したようだ。田尻氏は、天才技師市原健蔵らと共に、緻密な海洋輸送体制を築く。

島国日本にとって、船舶輸送は平時においても重要であった。アメリカは、日露戦争の直後から、海上封鎖によって資源を断つ兵糧攻めを対日作戦の基本と考えていた。ところが、日本の軍隊は兵站を軽視してしまい、無謀な作戦により自滅していく。

日清戦争前から、日本の陸軍は兵士の海上輸送を自前で行うしかなかった。海軍は、海上での戦闘こそが本来の任務であると考え、護衛などは行っても陸軍兵士の輸送を拒否していた。陸軍自体もまた輸送船開発への資金投入を渋り、軍事の要諦である輸送と補給を軽視したまま破局に向かう。戦時には民間の船と船員を徴用した。つまり民間のチャーター船で兵站を担うというのが日本の軍隊の実態であった。

田尻昌次司令官は船舶輸送に尽力し、輸送や兵站の重要性を主張した。日本の国力を認識していた田尻氏は、戦線拡大に異議を唱え、捨て身の意見具申をした人物である。その後、宇品の陸軍倉庫における不審火などがあり、田尻氏は罷免され、軍人人生を絶たれてしまう。日本にとって重要な人物のあっけない幕引きであった。

田尻氏が罷免された後、半年間だけ陸軍の船舶輸送司令官を務めたのが上月良夫中将。この期間に対米開戦準備が始まり、上月氏はこれを見届けるようにして宇品を去った。

そして上月氏の後任として宇品にきたのが、船も鉄道も広く運用経験のある交通畑のエキスパート、佐伯文郎中将。本格的な戦争準備の直前に、輸送業務に精通する実務家が据えられたようだ。

だが、日本軍の中枢である大本営における兵站の軽視は改善されず、無謀な作戦を生み、ガダルカナルの戦いなどでは多くの兵士を餓死させた。具体な数値を見れば、いかに無謀な戦争であったかが分かる。だが、日本が国力を維持するための手段として、大陸進出を続け戦線拡大の道を選んでしまう。当時の軍部でも、無理だと内心では思いながらも、表面的には強気の姿勢を見せていた。田尻氏のように罷免ならまだしも、若い参謀たちが第一線に飛ばされてしまえば命の保証はない。

アメリカ軍の海上封鎖によって宇品の輸送機能はほとんど失われた。海外の占領地だけでなく、日本本土においても、兵糧攻めと度重なる空襲に遭う。資源及び食糧の乏しい日本がこのような大戦争に突入すると、このような事態に遭遇する可能性が高いことがはっきりと示された。大戦が残した重い教訓。資源の乏しさと船舶輸送は、島国日本の安全保障における弱点であり続ける。

終戦間際の宇品には、軍事上においてもはや原爆を落とすほどの価値はなかった。標的にふさわしい都市が残されていなかったなかで、広島と長崎に原爆が投下される。原子爆弾の開発は、アメリカにとって莫大な国家予算を投じたプロジェクトであった。終戦のためというよりも、ソ連軍の南下を牽制し、大戦後に覇権を握るために、核大国アメリカはその威力を内外に示した。ただし原爆投下までの日本は、アメリカ軍の本土上陸に向けて徹底抗戦の構えであったことも事実であろう。

広島に原爆が投下された時、陸軍船舶司令官は佐伯文郎中将であった。佐伯氏は、独自の判断で宇品近郊にある船舶司令部の全部隊を人命救助と災害復旧のために投入した。佐伯氏には関東大震災のときの陸軍の支援活動の経験があったが、放射能汚染の危険という決定的な違いがあった。佐伯氏は、その危険を顧みず爆心地に赴き、司令所を広島市中心部に置いて、自ら陣頭指揮に当たる。

関東大震災のあった大正時代後半は軍縮が続き、軍人への風あたりが厳しかった時代。国民が軍隊無用と叫び、新聞が帝国主義を厳しく批判していた。この震災の時に陸海軍の実力と重要性が示され、国民の命を守るために献身する軍隊の姿に、報道は総じて好意的であった。だが、昭和の陸軍は専制体制に変貌してしまう。

本作は、陸軍の船舶輸送データや残された証言から太平洋戦争における無謀な作戦を明らかにした。歴史的な事実を知る手がかりとなる。それと同時に組織と個人の関わりについても考えさせられた。

ノンフィクション作家の堀川惠子さんによる「暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」は、2021年に講談社より刊行された。本書は第48回大佛次郎賞の受賞作。広島に生まれ育った堀川さんにとって、ヒロシマや原爆はライフワークともいえるテーマであったと思われる。

陸軍船舶は、日本軍事史において重要でありながら未解明の問題であった。堀川さんは、ノンフィクション作品を次々と発表しているが、事実を掘り起こす取材力があり、物語を巧みに運ぶ術を心得ている方として定評がある。本作においても、膨大な文献を資料としながら、研究者や遺族らを訪ね、丁寧に事実を掘り下げていかれた。

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