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日本語の手ざわり

見えない未来を縫う ― 言葉と選択の倫理について

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境界線の上で
ふと立ち止まる。

まだ起きていない出来事が
夜のニュースの端で
そっと息をしている。

ある人が問い、
別の誰かが答える。
けれどその会話は
机の上の紙束をめくるたびに
遠い海の気配へ変わっていった。

「もし、その船がこちらへ向かうなら」

ただそれだけの言葉が、
見えない地図の端を濡らす。

名前を持つ条文や、
古い約束たちの背後で、
まだ形を持たない明日が
かすかに灯っている。

選ぶという行為は、
針と糸のように
見えない布を縫い合わせること。
その縫い目にはきっと、
迷った指先の跡が残っている。

――呼ばれ方はいつも、あとからついてくる。

伝統を守ると言う声、
新しい扉を叩く手、
そのあいだで椅子を整える人。

真ん中は中心ではなく、
風が通り抜ける裂け目に
静かに立つ場所。

ラベルを剥がすと、
言葉の下には
湿った土の匂いが残る。
過去の午後に干された洗濯物の、
乾ききらない布の重さのように。

歴史をめくると
沈黙だけが残るときがある。
声を上げた人、
飲み込んだ人、
ただ老いを盾にして
遠くを見ていた人。

正しさを語る指はいつも、
知らない誰かの傷に触れる。

わたしたちは
責任を背負うのではなく、
灯りを持ち歩くように記憶する。
失われた道に火をつけるためではなく、
歩く足元を確かめるため。

家電の裏の小さな文字、
縫い目の寄り方、
湿度の違いで変わる布の肌。

遠い国の夜の工場の灯りが
リビングの静けさに
紛れ込む瞬間がある。

そこに世界が、
少しだけこちらへ身を寄せる。

大きなものは遠い場所で揺れている。
けれど、わたしの手のひらには
今日選んだものが乗っている。

何を読むか、
何を信じるか、
どの扉に触れるか。

迷いは、道に迷った証ではなく、
歩こうとした証だ。

そうして人は
揺らぎながら
日々を縫っていく。
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