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『60歳で小説家になる。』森村誠一 ‐ 小説家の資質や心構えなど【書評】

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この記事では、森村誠一氏の著書『60歳で小説家になる。』を紹介ます。

60歳で小説家になる。 森村誠一・著

60歳で小説家になる。/森村誠一
出典:Amazon

書誌情報

書名:60歳で小説家になる。
著者:森村誠一
出版社:幻冬舎(幻冬舎新書)
発売年月:新書 2013年1月/電子書籍 2016年2月
ページ数:新書 184ページ
Cコード:C0295

小説家の資質や心構えなど

本書はタイトルから分かる通り、主に定年を迎える方に向けて書かれている。
内容はエンターテインメント系寄りの立場と言っても差し支えないであろう。
だが、小説家の資質や心構えなど、年齢やジャンルを超えて共通する記述が多い。

まえがきには次のようなことが書かれている。

リタイア後に残された長い余生。
平均寿命が飛躍的に延びた今日では、余生などとは言っていられない。
時間をどのように使うのか。
何かに挑戦すべきではないか。
小説家になればいい。

森村誠一氏は、60代こそが小説家デビューの適齢期、と述べている。
人生経験の蓄積は強い武器。
楽器や絵画等と異なり、義務教育を受けていれば、日本語の文章は書ける。
2,30代でのデビューが多いかもしれないが、60代では遅いということは、まったくない。

本書の章分けは次の通り。

第1章 なぜ60歳で小説家デビューを目指すのか
第2章 会社で成功しない人が小説家として成功するかもしれない5つの理由
第3章 小説を書き始める際に必要なこと
第4章 感性の保ち方
第5章 作家になると、こんなに得をする
第6章 アイディアはどこから生まれるか
第7章 小説の書き方

そしてあとがきには次のようなことが書かれている。
リタイア後に一人でできて、新たな表現に挑戦できるのは作家、特に小説家である、と。
パソコン一台と最小限のスペースがあれば、開業できる。

森村氏に言わせれば、小説の素材にならない分野はない、とのこと。
あとは作家の技量次第。

本書には次のようなことが書かれている。
明治、大正、昭和初期の作家および読者が、純文学というエリート意識に閉じ籠っていた間は、作家はほとんど同人誌に所属して、文章、文体を磨いていた。
作者の狭い経験に頼ることになり、主たるテーマや登場人物の職業などに限りがあった。そして専門性の強い分野は、文芸のテーマとすべきではない、とされた。

職業が細分化され、専門化されている現在、さまざまな業界から小説家に転身している。
例えば医療、法曹、銀行など。
ただし、これらの分野の専門性を生かしてデビューされた方は、高学歴エリートが多くなるだろう。
誰でも小説家になれるという話とは少し違う。

関連して、第7章では自伝に転んでしまうことへの注意があった。
そして非専門家が読んでも、面白い作品でなければならない、と。

社会人生活を送っている間に、さまざまな分野に興味や関心を持っていれば、取材を重ねることであらゆる職業の人生を描ける。
ただし恋愛小説や純文学と異なり、専門性の深い小説を書くには、それ相応の知識が求められる。
時代小説なら、考証のための文献が必要。

森村氏の場合、ホテルマンを経て執筆生活に入られた。
ホテルという場所は、客層が千差万別で人間観察に最適であった、と述べられている。

今日、純文学とエンタメ系の境界は曖昧。
間口は広がり、作者の一人に誰でもなれる。

このような趣旨で本書は書かれている。
本書の刊行は2013年1月だが、2022年現在、この傾向は強まっている。
今日、純文学に分類される作品においても、私小説的な作品は少ないと思われる。

誰でもなれるといっても、もちろん誰でも成功するとは限らない。
この事に関連するのが第2章。

森村氏は、自己顕示欲が旺盛で哲学的疑問が常にある人間は小説家に向いている、と述べている。
たとえば、会社勤めをしていた時期に、何でこんなことをしなければならないのかと、哲学的疑問を抱えていた人間。
大抵、会社で成功するのは、その反対の気質の人間で、協調性が高く組織への適応力などが高い。
上下関係や組織体系を重視する環境では、文才を養うことができない。

小説家は自分の作品においては、神の存在にもなれる。
自己顕示欲が強い人間にとって、従属して働かなければならない会社勤めは、組織や個人によって差はあるが難儀なことが多い。

ただし第3章第3節では、事務をおび自己管理能力の必要性などが書かれている。
おそらくSOHOのような感覚のことであろう。
事務管理能力も自己顕示欲と相容れないものだが、スケジュール管理などのためにも、これに関しては両立が必要。
それから小説家は人間関係に気を遣う必要性が大幅に減り、エネルギーを執筆の仕事に充てればよい。
が、編集者らへの気遣いは、ある程度必要。

小説家に定年はないので、永遠に続けることが可能である。
そして小説家になることより、あり続けることのほうが難しい。
作品を一つ書き上げて終わりではない。

森村氏は、第3章の第2節では次のようなことも記されている。
「小説に疲れたならば、エッセイを書く」。

小説では、取材をしたり、思案したり、考証したりと、やらなければならないことが多い。
それに比べ、「エッセイは自分の内面世界を文章化すればよいので、作品世界を作る必要はない」。

志賀直哉氏の作品に『城の崎にて』という有名な短編小説がある。
この作品は文学評論や文章論などで取り上げられることが多い。
森村氏も、このエッセイのような心境小説を取り上げ、「小説家らしい観察眼に感服させられる」、と述べている。

さらに続けて、「エッセイに疲れたら、詩を書けばよい、短歌や俳句にいってもよい」、と。
そして「小説の創作ができなくなれば、評論家に転身できる」、と。
映画評論家、美食評論家、演劇評論家など、なんでもよい。
このように考えると、思いのほか道は開けるので、前向きになれる。

第3章の第2節の見出しは、「小説家には定年がなく、永遠の途上であり続ける」。
この節には、小説家になれば、思いのほかつぶしが効く、ということが書かれていた。

第4章の第1節には、小説家にとって非常に重要な要素として、「感性の保ち方」が書かれていた。
感性は、「作品の完成度や、方向性に多大な影響をあたえる」。
そして「常に好奇心を維持し、新しい文化との出会いを心がけることが大切」、と。
外に出られないなら、本、映像、絵画、音楽など、創作芸術にアクセスする!

この点に関しては、一般論として昔から広く言われている。
どのように書いてあるかの違いであろう。
この辺の資質が足りない方は、おそらく芸術系の道に進む気にはなりにくい。
あとは、どのジャンルへの関心が強く、どの道に進むかの問題。
プロの芸術家にならなくても、趣味にしている方は多い。

第6章の第6節の書き出しは、「不幸に追い詰められた体験こそが、小説家の感性を研ぎ澄ます際に役立つ」。
これも昔から同様の意見があり、世間一般の小説家に対するイメージの一つとしても、定着しているのかもしれない。
森村氏も述べられているように、「絶望から立ち直るためにはどうすべきか。立ち直らせるべく手を差し伸べるにはどんな支援が求められるか」などは、小説のテーマに適している。

芸術は、人間にとってプラスに働く。
マイナスの不幸な事象を素材にしたほうが、より価値の高い優れた作品が生まれる。

第7章の見出しは「小説の書き方」。
森村氏は小説家志望者に日記を書くことを勧めている。
毎日書き続ける訓練になる。
ブログなどで他人に見せるために美化してもよい。

第7章の第1節の見出しは「まずは日記に嘘を書きなさい」。
小説の書き方の冒頭は、意外性のある意見であった。
森村氏によれば、「経験した事実を、正直に書いてはいけない」らしい。
それと、「他人に見せる意識がないと、文体と文章があまくなる」、と。

日記であって、実は日記ではない。
文学的日記。

森村氏は、平安朝時代の日記文学を例にして、次のように述べている。

読ませるつもりで書くと、自分の感性の素晴らしさを誇張し、虚構が加わるので、文芸になる。それらの多くが古典として現代に残っている所以である。(引用:第7章の第1節より)

そして重要なのは、作品として発表するつもりで、文章を練ること。

第7章の第2節の見出しは「題材と小説のタイプのマッチング」。
この中で、題材に対応する小説のタイプを3つに分けて解説されている。
お屋敷型と建て増し型とワンルーム型である。

本書の中では具体的に解説されているが、例えばワンルーム型は主に短編小説。
構成が簡潔な中にきちんと完成されている必要がある。

長編小説は、プロットの立て方によって分かれ、小説家のスタイルによる個人差もある。
例えば連載小説なら建て増し型、書下ろしならお屋敷型。
また純文学が建て増し型であるのに対して、本格ミステリーはお屋敷型。
今までの読書体験や好きな作家の発言などを思い出すと、自然と納得できる話だと思う。

森村氏は次のような理論を展開している。
純文学は人間の心理を掘り下げていく。人間は気分や考えが変わる。
よって論理性や物語性は求められず、意識の流れと共に構成される。
もし純文学をお屋敷型で書こうとしたら、不自然になるかもしれない。

対して本格ミステリーは、もちろん緻密に作りこむ。
全体的な設計どおりに完成させることが必要。
そうでなければ、読者は推理を楽しめない。

また、文芸の永遠のテーマは、人間と人生を描くこと。
ミステリーでは犯人を隠して書くので、犯人の人間性や人生を描きにくい。
代わりにミステリーには人工の美学がある。

ミステリーに関しては本格か変格かに大別できる。
本格には遊びの感覚がつきまとい、メルヘン的面白さがある。
精神の暗黒を描くミステリーには遊びはなく、リアリティの持つ恐怖がある。
犯人・トリック・動機のどれに照準を定めるのかで、書き方が変わる。

第7章の第8節は、「応募作品の基本的な注意点」について。
この節では、「テーマ」「構成」「文章・文体」「先行作品」の4項目を挙げて、基本的な注意点について記されている。

テーマの項目では、作品に集約されるメッセージとしてのテーマと、作者の志の関係が書かれている。
小説に限らず、文章を書くうえで大切なこと。

構成の項目は、小説に求められる物語性について。
小説はエッセイや日記と違う。また物語性に乏しいと、心理の探求や哲学に近づいてしまう。
小説では、作者が築き上げた虚構である物語のなかに、人間性の真実をちりばめる。

文章・文体の項目は、文章は小説表現舞台の主役である、という書き出しで始まる。
文章はまず模倣から始まる、としてうえで、読書量が少ないと模倣に陥りやすく、大量の読書が独自の文体につながっていく、と森村氏は述べている。

それから著名な先行作品があると、大きく減点される。
この点でも、基礎体力としての読書量が求められる。

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