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映像とものがたり

『侍タイムスリッパー』映画レビュー|斬られ役になった侍が見た、もうひとつの日本

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私たちは、どの時代に生きているのだろうか――。
スマートフォンの光の中で顔を上げたとき、あるいは、誰かとの会話がいつの間にか心から離れていったとき。ふとそんな問いが、胸の内に差し込むことがある。映画『侍タイムスリッパー』は、まさにその問いを、幕末から現代へと迷い込んだ一人の侍の姿を通して、静かに観客に投げかけてくる。

物語の始まりは突拍子もない。幕末の会津藩士・高坂新左衛門(演:山口馬木也さん)が、戦闘のただなかで雷に打たれ、現代の映画撮影所にタイムスリップしてしまうのだ。だがこの作品は、決してその奇抜な設定に頼ることなく、そこから生まれる“まなざしの差異”にこそ、主題を据えている。

高坂は、かつて命を賭して刀を振るった男だ。だが現代において、それは単なる“演技”にすぎない。映画の世界では、斬ることも斬られることも、段取りと演出の一部として繰り返される。高坂が最初に受けた衝撃は、その本気を失った「形骸化した斬り合い」にある。だが彼は、そこで立ち尽くすことをせず、与えられた“斬られ役”という小さな舞台の中で、誠実に生きることを選ぶ。

そして、彼のその生き様が、かえって現代人の輪郭を浮かび上がらせていく。撮影現場のスタッフたちは、みな忙しく、合理的で、目的に沿って動いている。けれど、そこにはどこか焦燥のようなものが漂っている。誰もが“今”を生きながら、“どこか別の場所”を見ているような、そんな感覚だ。

その中にあって、ただひとり、過去から来た高坂だけが、目の前のことに真正面から向き合っている。それはただの芝居ではない。彼にとって“斬られる”という一瞬は、誇りと存在の証を凝縮した、魂の発露だった。この誠実さは、便利さや合理性に慣れた私たちが忘れかけているものかもしれない。効率ではなく、気配を。結果ではなく、佇まいを。彼の所作のひとつひとつが、現代においてはむしろ稀少なものとして輝いて見える。

映像面でも、この作品は特筆すべき魅力を湛えている。撮影所の光と影、夕暮れ時の空の色合い、草の匂いが伝わってくるような河原の空気――。低予算映画という制約を逆手にとったような、どこか乾いた質感が、かえって侍の孤独を際立たせていた。特に、ラスト近くで高坂が撮影セットの町並みの中をひとり歩くシーンには、時間が凝縮されているような濃密な気配が宿っていた。そこには“本物”の町でも、“本物”の時代でもない場所で、なおも己を生きようとする男の静かな意志がある。

だが、高坂は頑なな人物として描かれてはいない。むしろ彼は、驚くほど柔軟で、理解力に富んでいる。自動ドアやテレビの仕組みに目を見張りながらも、それを恐れるのではなく、敬意を持って受け入れる。この柔らかな受容こそが、彼を単なる“時代遅れの人”ではなく、現代人以上に現代的な存在にしている。人間らしさとは、古さではなく、“関わろうとする力”なのだと、この映画はそっと教えてくれる。

けれど高坂もまた、ひとりの人間だった。ある夜、酒に酔い、足元もおぼつかないまま街をさまよう姿には、かつての武士の面影はない。不良少年たちに絡まれ、うずくまるその背中は、どこにでもいる現代の中年男のようで、見る者の胸にかすかな痛みを走らせる。

人気のない夜のアーケード。濡れた路面に映るネオンの色が、高坂の孤独をいっそう際立たせる。現代という異国の中で、どうにか「居場所」を見出した彼もまた、生きる意味に戸惑い、心の中で崩れ落ちていたのだ。

だが、人生とは何か――その問いに打ちひしがれたのち、彼は再び立ち上がる。斬られるという役を引き受けながら、斬られることを生き抜くことへと昇華させていく。そこには、侍という存在を超えた、一人の「人」としての再生の姿が、静かに描かれていた。

やがて高坂は、ただ「生き延びた」だけではなく、現代という世界の中で役割を見出し、愛される存在となっていく。斬られ役という目立たない役どころを、誰よりも真摯に演じることで、人の心に何かを残す存在になっていく。その姿には、どこか詩的な静けさが宿っていた。

『侍タイムスリッパー』は、決して派手な映画ではない。特撮の華やかさも、重厚なセットもない。だが、その分、言葉や所作のひとつひとつが、深く沁み入る。現代に迷い込んだ侍の姿は、私たち自身の「生き方」そのものへの鏡として、心に残り続けるだろう。

時間を超えてなお、斬られることを選び続けたその男の背中は、時代を問わず、確かに「美しかった」と思う。

侍タイムスリッパー
出典:Amazon

作品情報

タイトル:侍タイムスリッパー
監督・脚本・撮影・照明・編集・他:安田淳一
出演者:山口馬木也、冨家ノリマサ、沙倉ゆうの、峰蘭太郎、紅萬子、安田淳一 ほか
製作年:2024年
製作:未来映画社
配給:ギャガ、未来映画社
劇場公開日:2024年8月17日

VOD(ビデオ・オン・デマンド)

Blu-ray/DVD ほか

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