小説

『個人的な体験』大江健三郎 ‐ 障害のある息子の誕生に触発された作品【書評】

この記事は約3分で読めます。

この記事では、大江健三郎さんの小説『個人的な体験』について、そのテーマや登場人物、物語の魅力をさまざまな角度から掘り下げていきます。

個人的な体験 大江健三郎・著

個人的な体験(大江健三郎, 新潮文庫)の表紙
出典:Amazon

書誌情報

書名:個人的な体験
著者:大江健三郎
出版社:新潮社
発売年月:単行本 1964年8月, 文庫本 1981年2月, 電子書籍 2014年3月
ページ数:336ページ
ジャンル:文芸作品
Cコード:0193(日本文学小説)

紙書籍

電子書籍

障害のある息子の誕生に触発されて

大江健三郎さんの『個人的な体験』は、1964年(昭和39年)に新潮社より発行された書き下ろしの長編小説で、第11回新潮社文学賞の受賞作です。分量が文庫本で336ページであり、大江さんとしては、どちらかというと中編のジャンルとして考えられていたようです。

1958年に23歳で第39回芥川賞を受賞し、小説家としての華々しい経歴をお持ちの大江健三郎さん。私生活においては、1960年にご結婚されたが、1963年にご長男が頭部に異常を抱えて誕生された。作家としての人生を大きく変えた出来事。障害のある長男との共生という一個人の経験は、大江文学の主題のひとつになりました。

大江健三郎さんは、息子の誕生に触発されて1964年に『個人的な体験』を上梓。その後もこの主題でいくつもの作品を書かれた。

ただし、作中の主人公、本作であれば鳥(バード)と大江健三郎さん自身とは切り離すべきである。いずれの作品も現実生活での経験にぴったりと重なっているわけではない。経験に根差しているが、日本の伝統的な私小説のような作品ではない。

知的障害のある息子と父親との関係は、作品ごとに差異があります。

父親としての存在の意味を失う『空の怪物アグイー』(『新潮』1964年1月号)、両親の頽廃を描く『万延元年のフットボール』(講談社, 1967年9月)、社会から逃避し息子と隠れ住む『洪水はわが魂に及び』(新潮社, 1973年1月)、父親と子どもの年齢が逆転する『ピンチランナー調書』(新潮社, 1976年)。『洪水はわが魂に及び』を悲劇とすれば、『ピンチランナー調書』は喜劇。

現実世界がひとつあり、まったく異なった存在としての数知れない他の宇宙。鳥(バード)の大学時代からの女友達、火見子のいう多元的な宇宙。

この哲学的な会話は大江作品の広がりとも共通し、作品ごとの大きな差異は人生の選択、あるいは運命のようであり、フィクションゆえの多元性とも感じます。

『個人的な体験』においては、魂の遍歴が描かれ、終幕の直前に急展開する。そして終幕になると、小説の内容が明るくなり、文体もがらりと変わる。これは、本当の意味で父親になる前となってからの主人公を対照的に描くという構想があったから。つまり、主人公の成長や心理の変化と素直に考えるなら、小説としての完成度の高さを感じる。これは息子の運命の好転を望む大江健三郎さんの思いの表れようでもある。

この作品において、この終幕の部分が集中的に批判を受けた。確かに終幕の部分は別作品のような印象さえ受ける。主人公と息子の境遇は現実問題として楽観視できることではない。しかし、大江健三郎さんとしては主人公、鳥(バード)の変化と成長を表現するという構想をつらぬかれた。

大江健三郎さんの倫理観は障害のある息子と共生すること。経験に根差しているだけに、本作において子どもを放置したままでは家族への裏切りであり、現実の息子とまともに向き合うことを躊躇うことになる、と考えられたのでしょう。

ただし、作家生活30年ごろの文章のなかで、大江健三郎さんは次のようなことを語られています。主題は深刻なものでありながら、イメージや技法は、それまでどおりの青春の小説、と。そして、自分でも失敗作とみなすほかないものだった、とも。当時のハッピーエンドへの批判を振り返られての発言です。

しかし、読み終えたあと、小説としての完成度が高く、読んでよかったと思える作品でした。

タイトルとURLをコピーしました