この記事では、綾辻行人さんの小説『時計館の殺人』について、そのテーマや登場人物、物語の魅力をさまざまな角度から掘り下げていきます。
時計館の殺人 綾辻行人・著
書誌情報
書名:時計館の殺人
著者:綾辻行人
出版社:講談社
発売年月:講談社ノベルス 1991年8月/講談社文庫 1995年6月/講談社文庫<新装改訂版>(上・下) 2012年6月/電子書籍<新装改訂版> 2012年6月/電子書籍(上下合本版) 2020年1月
ページ数:講談社ノベルス 476ページ/講談社文庫 626ページ/講談社文庫<新装改訂版>(上) 372ページ/講談社文庫<新装改訂版>(下) 420ページ
※新装改訂版刊行にあたり、上下巻二分冊
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悲しみの連鎖が憎しみの連鎖となり惨劇を生む
綾辻行人さんの小説作品、館シリーズ第5作『時計館の殺人』<新装改訂版>を読了した。想像を超える大仕掛けの推理小説であった。
本作は、1991年9月に講談社ノベルスから刊行された新書判および1995年6月刊行の講談社文庫版は一冊に収まっていた。が、2012年の全面改訂にあたり上下巻二分冊となった。分量は400字詰め原稿用紙で900枚超の長さ。本作は、第45回日本推理作家協会賞受賞作。
綾辻行人さんの話では、何となく5作目の館を「時計」と決めたときには、時計塔のある大きなお屋敷をイメージしただけで、具体像は見えていなかったらしい。その後、ある食事の席で、食後のコーヒーを飲んでいるとき、ふとある言葉の組み合わせが頭に浮かんだそうです。それは『時計館の殺人』のメイントリックを端的に言い表したもの。そして、その思いつきを物語の核にし、さまざまなアイデアを織り込んでプロットを膨らませることに時間を費やしたそうです。その後、鎌倉や時計博物館で取材をし、1991年の始めに本文の執筆に取り掛かったとのこと。
あとがきによれば、新装改訂版では全編にわたる細やかな改訂を行なった模様。綾辻行人さんはあとがきで、できれば今後、新装改訂版を基準に論じてほしい、と述べている。
本編を読み終えたあと、解説にも目を通したが、著者への造詣の深い一流作家が書いているということもあり、感興が強まった。1960年生まれの綾辻行人さんの作品についての解説を、1930年生まれの皆川博子さんと1978年生まれの米澤穂信さんが書いている。
旧版解説の皆川博子さんは、ミステリ、時代小説、幻想小説、歴史小説などの幅広いジャンルで、約半世紀にわたる実績のある方。文学賞の受賞歴も多い。
皆川博子さんは、本作だけに限った意見ではないが、次のようなことを述べている。論理で構築する本格ミステリと日常の論理から飛翔した幻想小説は対極にあるのだから、融合させて成立させることは至難にちかい。しかし綾辻行人さんは、この課題をクリアし創造した、と。そして綾辻行人さんには幻視の詩人の資質が内在するとも。
皆川博子さんは、本作は本格の論理を一貫させた作品であるが、やはり幻想の力を感じる、と述べている。
なるほどと思った。解説を書いた皆川博子さんご本人も幻想的な作品を書くため、通じるところがあるのかもしれない。また、本作においては、実際に故人となった作中の登場人物が残した詩が、物語の展開において重要な要素となっている。
限られた時間を生きる人間が、その所有する時間を突然断ち切られるなら、死はより切実なテーマとなる。悲しみというテーマも、確かに感じ取れる。
新装改訂版解説は米澤穂信さん。米澤穂信さんが綾辻作品と出会ったのは、中学生のときとのこと。『十角館の殺人』に衝撃を受け、すぐに続刊を探したことを、解説の冒頭に書いている。米澤穂信さんの解説も興味深い。その事については、もう少し後に触れる。
ミステリ小説において、死というテーマはほぼ欠かせない要素になる。この本格ミステリ「時計館の殺人」においても、時を前後して連続的な惨劇が起こる。作中における十年前と現在。
本作の事件は、時計塔があり、百を超える時計に囲まれた、異様な雰囲気の屋敷内で起こる。そこは、古峨精計社の前会長で故人の、古峨倫典が奇矯な建築家、中村青司に設計を依頼して建てた屋敷。中村青司は、からくり趣味があり、ときには建築主にも内緒で、隠し棚や隠し扉や秘密の抜け道などを作った人物。
今回は、その事を知る、稀譚社の新米編集者・江南孝明が、殺人現場となる旧館にいたため、早期にトリックの謎に気づき始める。江南孝明は、雑誌「CHAOS」の編集部に所属。「CHAOS」は、オカルトブームに便乗して創刊された雑誌。彼らが時計館を訪れた目的は、「亡霊に挑む」という、稀譚社の特別企画を開催すること。時計屋敷には、少女の幽霊が付近の森を徘徊するという噂がある。
雑誌の企画についてもう少し具体的に触れる。それは時計屋敷の旧館に三日間、取材チームが閉じこもり、屋敷に棲む亡霊とコンタクトを図るというもの。その交霊会は、美人霊能者の光明寺美琴を中心に、W**大学超常現象研究会の学生も加わる。稀譚社からは江南孝明のほか、「CHAOS」の副編集長と稀譚社のカメラマンが参加。旧館は密室となり、外部との連絡手段なども絶った状態で行われた。
そして推理作家の鹿谷門実は、時計屋敷に出入りする機会を得たものの、交霊会には参加しておらず、新館などを行き来する。鹿谷門実は探偵役を担う人物。また、偶然に出会ったW**大学超常現象研究会の学生・福西涼太と行動を共にする。彼は、交霊会への参加予定者であったが、急用があり、交霊会の開始に間に合わなかった。
米澤穂信さんは、巻末の解説で『時計館の殺人』が誰の物語なのかについて、次のようなことを述べている。内部の江南孝明、外部の福西涼太、探偵役の鹿谷門実という視点人物がいて、彼らの物語であることも確かであるが、古峨倫典の物語として読む、という意見を述べている。
この意見には同感である。この物語は古峨倫典の狂気じみた娘への愛により建てられた時計館があってこそ成り立つもの。また、古峨倫典が残した「沈黙の女神」に関する詩は、クライマックスの核となる。
綾辻行人さんのデビュー作は、1987年刊行の『十角館の殺人』。刊行予定が固まったあとにシリーズ化を思いついたとのこと。第4作で完結するつもりが、ある時点で続行を決め、完結予定を全10作までに改めたと述べている。館シリーズは長編作品であり、第7作の『暗黒館の殺人』は、新書が上下二分冊、文庫化のさいは四分冊に。
刊行の順番は『十角館の殺人』『水車館の殺人』『迷路館の殺人』『人形館の殺人』『時計館の殺人』『黒猫館の殺人』『暗黒館の殺人』『びっくり館の殺人』『奇面館の殺人』。つまり2021年2月現在、残すところあと一作。第9作『奇面館の殺人』が講談社ノベルスから刊行されたのが2012年1月。少し間隔が空いていますね。
なお講談社ノベルスは、主に推理小説を扱い、軽装の新書判で発行する講談社の小説レーベル。
『時計館の殺人』に関しては、講談社ノベルスと講談社文庫のほか、2006年に双葉文庫からも「日本推理作家協会賞受賞作全集」の一作として収録され発売されている。
綾辻行人さんの「館」シリーズ