この記事では、大江健三郎さんの小説『万延元年のフットボール』について、そのテーマや登場人物、物語の魅力をさまざまな角度から掘り下げていきます。
万延元年のフットボール 大江健三郎・著
書誌情報
書名:万延元年のフットボール
著者:大江健三郎
発行:講談社
発売年月:単行本 1967年9月/講談社文庫 1971年7月/講談社文芸文庫 1988年4月/電子書籍 2013年4月
ページ数:単行本 394ページ/文庫本 492ページ
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青春の締め括りとして
長編小説『万延元年のフットボール』は、大江健三郎さんの代表作の一つです。度々、戦後の日本文学を代表する作品に挙げられています。
本作は、1967年の第3回谷崎潤一郎賞を受賞しました。
1994年のノーベル文学賞においても、受賞理由のなかで取り上げられています。
初出は講談社発行の月間文芸雑誌『群像』。『群像』1967年1月号から7月号にかけて連載されました。そして同年に、加筆した単行本が講談社から刊行されました。
大江健三郎さんは、1935年生まれの作家です。
『万延元年のフットボール』が発表されたのは、大江健三郎さんが32歳のときでした。
そして本書の主人公、根所蜜三郎の年齢は27歳。
既婚者で養護施設に子どもがいます。
のちに大江健三郎さんは、作家生活30年ごろの文章のなかで、『万延元年のフットボール』について、青春の締め括りのような小説を書こうとしていたのだと振り返られています。
物語の語り手である根所蜜三郎は、東京の大学で教師をしています。
蜜三郎は、心に深い闇を抱えています。
理由の一つは、蜜三郎の子供が生まれつきの知的障害児であることです。
結果的に育児を放棄し、施設に預けています。
そして、蜜三郎を苦悩させるもう一つの出来事は、友人が自殺したこと、しかも異様な姿で。
蜜三郎の妻である菜採子は、重度の精神障害児を出産したことで、精神状態が不安定となり、酒に溺れています。
また、蜜三郎が友人と同じようなことをするのではという不安も抱いているようです。
蜜三郎には、鷹四という弟がいます。
鷹四は、渡米していましたが、帰国することになりました。
鷹四には、10代後半の星男と桃子という信奉者がいます。
蜜三郎と妻の菜採子は、星男と桃子と一緒に空港で鷹四を出迎えることになります。
帰国した鷹四は、故郷の四国を一緒に訪れようと、蜜三郎を誘います。
そして、蜜三郎、鷹四、菜採子、星男、桃子の5人は、四国の山奥にある谷間の村を訪れました。
そこで、物語は大きく展開していきます。
万延元年は西暦にすると1860年です。
蜜三郎たちが訪れた場所は、江戸末期の万延元年に百姓一揆があった地です。
実は、その百姓一揆には、蜜三郎と鷹四の曽祖父兄弟が密接に関わっています。
兄は村をまとめる庄屋で、弟は一揆の指導者だったのです。
鷹四は、江戸時代の曽祖父兄弟の姿を、現代の自分たちに重ね合わせようとします。
ついに、鷹四は過去の出来事を追体験するような暴動を起こします。
大江健三郎さんが『万延元年のフットボール』の執筆したころは、安保闘争があった時代です。
執筆された作品には、当時の時代背景も色濃く影響を与えているようです。
大江健三郎さん自身も60年安保のデモに参加しており、この時の体験を『万延元年のフットボール』に反映させたそうです。
また、蜜三郎は重度の精神障害児の父親ですが、大江健三郎さんにも知的障害の息子さんがいます。
障害のある子供が生まれた苦悩は、長編小説『個人的な体験』(新潮社, 1964年8月)、長編小説『万延元年のフットボール』(講談社, 1967年9月)、短編連作集『新しい人よ眼ざめよ』(講談社, 1983年6月)といった作品のモチーフになりました。
大江健三郎さんの小説は、60年代ごろから多くの支持を集めてきました。