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『語彙力こそが教養である』齋藤孝 人生をより豊かに味わい深く【書評】

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齋藤孝氏の『語彙力こそが教養である』は、2015年12月に角川新書より刊行された。語彙のインプットとアウトプットは教養溢れる大人になるためには必要不可欠。

教養を感じる人には語彙力があるという、本書の題名になっている考えについては、確かにその通りだと思う。思考は頭のなかで言葉を駆使して行われるので、じっくりと考えて意見を持つにためには、先にたくさんの言葉をインプットしておかなければならない。

英語が苦手で語彙力が乏しい人は、英語で深く思考できないのと同じというようなことが書かれていて、外国語と同じにしてよいのかという気もするが、それも一理あるだろう。頭の回転が速いというのとも別で、あくまで教養の話である。

語彙力を鍛えるというと、記憶力が関係するのではと思ってしまうが、ストイックに勉強するというわけではなく、習慣にしてしまえばいいという発想であった。好きな作家のエッセイやミステリーを読むことも、映画やテレビ、音楽の歌詞でさえも、心掛け次第では教養につながるとのことである。一昔前なら、文章力や語彙力の上達には読書が欠かせないというのが一般的だったが、本書では読書術のほか、テレビやネットの活用法なども書かれていた。方法については、本書を参考にしてください。

そして、語彙のインプットとアウトプットを繰り返すなかで、教養溢れる大人にはなることが本書の目的。やはりアウトプットしなければ、知性を発揮できないのだから。インプットするだけでもダメだが、語彙力がないままアウトプットしようとする人にも教養は感じない。前者と後者のどちらがよいかという話は別にして、語彙のインプットとアウトプットは教養溢れる大人になるためには必要不可欠。

インプットに関しては娯楽の延長でもできるという話であったが、アウトプットに関してはそれなりのトレーニングが必要になりそうだ。スポーツに打ち込むような感覚でトレーニングするという発想もあるようで、プロのスポーツ選手に比べれば、大変なんてとてもいえないというご意見だった。

齋藤氏は、本書のなかで二種類のアウトプットの話をしている。ひとつめは「定着のためのアウトプット」で、もうひとつは「実践で使うアウトプット」。前者は、言葉を口に出したり、ときには芝居がかった演技で表現したりと、いつでも使えるように練習するアウトプットとのこと。そして後者は、シチュエーションにあった的確な言葉を瞬時に語彙のストックから取り出す、本番アウトプット。

インプットに関しては、ストイックに勉強しなくても習慣にしてしまえばいいという話であったが、おそらく読者家にはなかなかかなわないであろう。だが、インプットを習慣化するとう発想には共感した。知的好奇心は常に持ち続けたい。

そして、齋藤氏の方法は、アウトプットのトレーニングに重きを置いているようにも感じだ。ただしこれも、使い慣れた言葉を使うという考え方とも言えるだろう。そう考えると納得できる。しだがって、本書に書かれていることは、実践する価値が十分にあると感じた。語彙習得の道は甘くない。

また、周りから一目置かれれることだけが、教養を身につける目的ではない。「語彙力が豊かになれば、見える世界が変わる」ということを、本書の「はじめに」においても強調していた。そして、人生が楽しくなる、と。小説を読むときは、作家の世界観を知ろうとするが、それに繋がる考え方といえるのではないだろうか。

知性とは、他者と比較したり誇示したりするものではない。自分自身を幸せにし、人生をより豊かに味わい深くするもの。そして、関わりあう他者も幸せにする。このことは、常に心の中に留めておきたい。

なお、本書の姉妹編として『文脈力こそが知性である』(角川新書, 2017年2月)という本が刊行されている。やはり、語学力向上には語彙力と文脈力のどちらも必要になるだろう。語彙は文脈のなかで活きるものであり、文脈あってこそ、たしかな教養へと姿を変える。

『語彙力こそが教養である』のアウトプットの部分は、『文脈力こそが知性である』に置き換えることができるようにも思う。その方が、素直に受け入れられる。

また、齋藤氏は、『「頭がいい」とは、文脈力である。』(角川書店, 2004年12月/角川文庫, 2009年10月)という本も上梓されたいて、『「頭がいい」とは、文脈力である。』『語彙力こそが教養である』『文脈力こそが知性である』は3部作ともいえるそうだ。

語彙力こそが教養である/齋藤孝
出典:Amazon
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