この記事では、川上未映子さんの小説『乳と卵』について、そのテーマや登場人物、物語の魅力をさまざまな角度から掘り下げていきます。
乳と卵 川上未映子・著
書誌情報
書名:乳と卵
著者:川上未映子
出版社:文藝春秋
発売年月:単行本 2008年2月/文庫本 2010年9月/電子書籍 2014年9月
ページ数:単行本 136ページ/文庫本 144ページ
ジャンル:小説
紙書籍
電子書籍
大阪出身の女性三人が織りなす物語
川上未映子さんの小説『乳と卵』(ちちとらん)は、第138回芥川賞受賞作。川上未映子さんは1976年、大阪府生まれ。本作は、独特な大阪弁の文体で書かれており、それが小説としての面白さにもなっていると、感じた。会話文にも地の文にもその傾向がある。
川上未映子さんが、身内や地元の親しい友人との会話で使っていたような言葉なのだと思われる。大阪弁には、テレビなどである程度慣れてはいるが、方言で書いた小説というか、個性の強い文章というか、多少、あくの強い文章だと感じる人はいるかもしれない。ただ、引き込まれる文章であることは確かだろう。
主要な登場人物は、思春期を迎える女の子とその母親、そして語り手でもある「わたし」。
この小説は「わたし」という一人称で語られる。語り手の「わたし」は東京のアパートで一人暮らしをしている独身女性。出身は大阪のようだ。わたしには姉がいて、姉の名前は巻子。巻子の娘、つまりわたしの姪の名前は緑子。巻子の年齢は現在、39歳。緑子は小学高学年の女の子。大阪に住む母子家庭である。
緑子の大きい方のノートには、彼女の叔母であるわたしは夏ちゃんと書かれている。物語の後半で明かされるが、実は語り手のわたしはこっそりと緑子のノートを見たのだ。緑子のノートには、大きいノートと小さいノートがある。
巻子と緑子は、親子関係がうまくいっておらず、緑子は半年くらい前から喋らなくなっていた。辛うじて、小さいノートを使ってやり取りはする。姉の巻子が、視点人物のわたしを呼ぶときは、あんたで、わたしは姉を巻ちゃんと呼ぶ。
この物語は、東京の「わたし」の元へ、巻子と緑子の母子が、ある目的で訪ねてきたときの話。巻子と緑子が、わたしの東京のアパートに三日間滞在する。主な登場人物はこの三人。わたしと姉と姪、女性三人の物語である。
彼女らが東京へ来る前の電話で、わたしは巻子と緑子の親子関係がうまくいっていないことを聞かされ、心配していた。小説を読んでいて二人のことが心配になったが、もちろん見守ることしかできない。
緑子は、この年代特有の心配事を強く内面に抱え込んでいる様子。それと母親のことも心配なのだ。本当はいい子なのだろう。
母親の巻子は、十年前に夫と別れた。この物語は母子家庭の話でもある。巻子は、離婚してから、スーパーや工場などで働き始めたが、生計を立てられずに、ホステスの仕事を始めた。勤め先は、大阪の京橋、高級なものとの縁は一切ない地域で、いわゆるスナックに類するところ。
巻子には女性特有のコンプレックスがある。東京へ来た目的は、そのコンプレックスを解消すること?それは豊胸手術!!
語り手のわたしは、母子の関係の修復の方が重要だと思いながら、姉に強く忠告することはない。親子関係は簡単なものではなく、自分が子どものいない身だし、妹だからといってとやかくいうべきではないと、考えていたのかもしれない。呆れてしまう人が多いだろうが、姉妹ということもあり、共通点があるのかもしれない。ただ、語り手のわたしは、やんわりとは触れる。豊胸手術が必要なのかということについて。
この小説の文体は、句点をあまり使わずに、直接話法と間接話法を織り交ぜながら、読点でつなぐことが多いため、一文が長くなることが多い。わたしが緑子と筆談したときに、緑子が小さな方のノートに書いた文章は、「<」と「>」の記号で囲み、「わたし」の語りの中に入る。冒頭や話の途中に、「○」で始まる文章が挿入されている。これらは、緑子の大きい方のノートに書かれている文章。語り手のわたしは、緑子のリュックから大きい方のノートをこっそりと取り出して読んだので、内容を知っている。語り手のわたしは、ゆっくりと2回読む。そうなるような内容なのだ。
緑子は、母親と喋らないことを、「禁止中」という表現で、ノートに書いている。その「禁止中」が終了したときはほっとした。母親は、いつまでも頑なに筆談を続ける娘に対してストレートに感情をぶつけ、母親のことを心配していた娘の緑子もまた、本心をいう。ただ母親は酔っ払っていた。
不器用な親子の会話であるが、本音をぶつけ合ったことで、仲直りできたようだ。仲直りする場面で、親子二人が変わった行動をする。その場面には、語り手のわたしもいて、見届けることができた。その様子が目に浮かび、三人の人柄も伝わってくる。翌朝からは、緑子は普通に会話するようになり、一安心。
川上未映子さんの『乳と卵』の初出は、『文學界』2007年12月号。単行本の刊行は2008年2月。単行本には『文學界』2008年3月号掲載の『あなたたちの恋愛は瀕死』も併録されている。
なお、2019年刊行の長編『夏物語』は、『乳と卵』の登場人物があらたに織りなす物語。主人公の名前は夏子。彼女は小説家を目指して上京したとある。2020年に英訳された『Breasts and Eggs』は『夏物語』の翻訳。
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