立夏から芒種の前日までに詠んだ俳句をまとめています。
初夏の光や朝の気配のなかで、眠り、仕事、生活の輪郭を見つめながら生まれた句たちです。
季節の進みに合わせて、作品を少しずつ追記していきます。
乾く目のまま夕餉を食う立夏かな
郭公や朝を起こしてゆきし声

郭公や眠気の抜ける窓に朝
郭公や托卵のこと知らぬ空
ここからは、麦と熊を取り合わせた四句を載せています。まだ模索の途中ですが、推敲過程もあわせて記録しておきます。
実は最近、兼題「麦」で俳句を作っていました。投句した句ではありませんが、川柳を作るうちに、この取り合わせも成立するかもしれないと思い、試行錯誤してみました。
麦秋やクマダス絶えず鳴りにけり
句作メモ
「クマダス」という固有名詞を使うと、秋田県内では伝わりやすい一方、他県の読者には分かりにくいかもしれない。
麦秋や通知のたびに辺り見る
句作メモ
何の通知なのか、なぜ辺りを見るのかが、やや伝わりにくい印象が残った。
麦秋や通知のたびに山を見る
句作メモ
山を見る動作から状況はある程度想像できるものの、緊迫感が少し薄れる気もした。
麦秋にクマダスを見て警戒す
句作メモ
意味は伝わりやすいが、説明的な印象も残った。
季語メモ
実体験に則すなら、「麦の秋」や「麦秋(むぎあき)」のほうが感覚としては近いかもしれない。
以下では、渓蓀(あやめ)を詠んだ句の推敲過程もあわせて載せています。
ひときは濃き一輪のあやめかな
句作メモ
まとまりはあるものの、字足らずのため破調の印象が残った。

ひときはに濃き一輪のあやめかな
句作メモ
定型には収まるが、「ひときはに」の助詞がやや不自然に感じられた。「濃きは」とする案も同様。
一輪の濃き色放つあやめかな
句作メモ
定型としては安定する一方、内容が説明的で、やや定番的な印象になった。
渓蓀(あやめ)の上記三句では切れ字「かな」を使いましたが、下記三句では「かな」を外しています。
あやめ濃し雨の名残の庭隅に
句作メモ
季語と景の取り合わせは自然だが、類想的でもある。庭にあやめを植えていれば思いつきやすい発想かもしれない。
ひときは濃きあやめ一輪風の中
句作メモ
上句は字余りになるものの、「風の中」で空間が出た気もする。一方で、やや類想的な印象もあるかもしれない。
あやめ咲く濃き一輪の浮き上がり
句作メモ
定型としては安定するが、「咲く」が説明的に感じられるかもしれない。また、「浮き上がり」の捉え方も分かれそう。
自分では、五句目の「ひときは濃きあやめ一輪風の中」が、この中では比較的よくできた句かなと思っています。
ただ、雨の中の渓蓀や、風に揺れる渓蓀では、どうしても既視感が残る気がします。
渓蓀の色や形、香りなど、その花自体の特徴をもう少し掘り下げたほうが良いのかもしれません。一方で、他の草花で置き換えられる内容だったり、広く知られた話に寄ってしまったりすると、俳句としての個性は弱くなりそうです。
そう考えると、何かエピソード、とくに渓蓀にまつわる具体的な体験や記憶と取り合わせることで、少し独自性が出るのかもしれません。もっとも、そのあたりは発想力や着眼点が問われる気もします。
庭の奥離れ離れに咲くあやめ
句作メモ
まだ推敲が必要ですが、少し個性を出したつもりです。ただ、似たような発想は既にありそうな気もします。
あちこちで咲いては散るるあやめかな
句作メモ
まとまりはあるものの、やや定番的な印象もあります。
上記二句は、庭の様子をそのまま句にした形ですが、意外性や発見が弱く、印象が平板になっている気もします。また、渓蓀(あやめ)でなければ成立しない句、とまでは言い切れないかもしれません。
もう少し発想を飛ばしてみる必要があるかもしれません。
渓蓀(あやめ)の八句について、現時点での自己評価を簡単にまとめてみます。
| 順位 | 俳句 | ひと言 |
|---|---|---|
| 1 | ひときは濃きあやめ一輪風の中 | 空間と風が出た気がする |
| 2 | 庭の奥離れ離れに咲くあやめ | 配置に少し個性がある |
| 3 | あやめ濃し雨の名残の庭隅に | 安定感はある |
| 4 | あちこちで咲いては散るるあやめかな | 定番的だがまとまりはある |
| 5 | 一輪の濃き色放つあやめかな | やや説明的 |
| 6 | ひときは濃き一輪のあやめかな | 字足らず感が残る |
| 7 | あやめ咲く濃き一輪の浮き上がり | 表現が少し抽象的 |
| 8 | ひときはに濃き一輪のあやめかな | 助詞に無理がある |
季語そのものに寄りすぎると類想的になり、逆に離れすぎると、その季語である必然性が薄れてしまいます。季語との距離感は、俳句を作るうえで難しいところだと改めて感じました。
ただ、離れすぎると、季語の本来の意味やイメージを十分に踏まえていないように見えてしまう可能性もあります。その意味でも、言葉との距離感は大切なのかもしれません。

