詩歌

『決定版 一億人の俳句入門』長谷川櫂 ‐ 約束事とその理由などを学べる総論【書評】

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この記事では、長谷川櫂さんの著書『決定版 一億人の俳句入門』について、その概要を中心にご紹介します。

決定版 一億人の俳句入門 長谷川櫂・著

一億人の俳句入門(長谷川櫂, 講談社現代新書)の表紙
出典:Amazon

書誌情報

書名:決定版 一億人の俳句入門
著者:長谷川 櫂
出版社:講談社
発売年月:単行本 2005年10月, 講談社現代新書 2009年12月
ページ数:単行本 236ページ/ 講談社現代新書 208ページ
※2005年10月刊行の四六判における書名は『一億人の俳句入門』

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約束事とその理由などを学べる総論

俳句にはいろいろな約束事があるが、その生まれた理由を知ることが大事。本書では、俳句の定型、切れ、季語について重点的に学べる。約束事についてただ単に知っているのと、その理由まで知っているのとでは、作句において大きな差がでるのではないだろうか? 本書を読むと、それを実感できる。

俳句は季節の賛歌。季語に関連して、季題、無季、季重なり、歌枕についても書かれている。季語は季節を表す言葉であるが、季題は題のうち季節に関わる題。季題は一句の主題ともいえる。季重なりの句には主たる季語がある。

芭蕉は歌枕の句は無季でもよいと考えた。一句の中に、季語と歌枕を入れてしまうと、主題がぶれてしまう。また無季の句を進んで詠むことはなかった。無季の句は有季の句と比べると、何か物足りない。想像力の賜物である季語には、ふつうの言葉にはない働きがある。短い文芸である俳句では、季語のように宇宙を抱える言葉を取り込むことによって、一句の世界を広げる。

その他にも「循環する時間」というタイトルの章では、類句という問題や、歳時記と暦について書かれている。本書には、類句についての著者の考え方が示されていた。また、俳句を詠むには、日本の風土や暦についての教養が必要。現代の日本には、太古の暦、太陰太陽暦(旧暦)、太陽暦(新暦)という三つの暦の時間が反映されている。

さらに「日本語の構造」についての章では、文語体と口語体、旧仮名遣いと新仮名遣い、話し言葉と書き言葉におけるそれぞれの関係、そして日本語の成り立ちについても書かれている。

俳句の定型が五・七・五であるのは、大和言葉が二音の単語と三音の単語を基本にしていることに関係する。一音の単語でも、かつては二音で発音していた単語が多い。「大和言葉の古い発音法は、今も関西風の言い回しや俳句の語法として残っている」。

定型句は、韻文としての根源的なリズムをもたらす。また、字余りや字足らずの名句に関しては、十七音というより十七拍と考えると、納得できることが多い。リズムの次に大事なのが、母音と子音の織り成す音色についてと書かれていた。ただし俳人は、日本語のリズムや音色を意識しているのではなく、直感的に選び取っているとのこと。舌頭千転という言葉がある。

「はっと驚く」ことは、すべての詩歌の原点。作者だけでなく読者のなかにも眠っていて、そのことをまだ誰も言葉にしていないという、二つの条件により、人ははっと驚く。この共感がなければ、すべての詩歌は成立しない。

俳句には「一物仕立て」と「取り合わせ」という二つの型がある。一つの素材を詠む「一物仕立て」は、散文に近い俳句の型。対して、二つのものをぽんと並べる「取り合わせ」は、俳句的な型といえるだろう。驚きの関係でいえば、「一物仕立て」の句は一つの素材の内容に、「取り合わせ」は二つの素材の関係に驚きが求められる。

散文から切り出したものを俳句と考えると、すべての俳句の前後に切れがあるといえるそうだ。日常の世界における特定の場面が地の文に当たり、そこから前後の切れによって、韻文として切り離したのが俳句。「取り合わせ」の句は二つの素材を並べているため、句の途中でも切れる。

さらに「一物仕立て」と「取り合わせ」には、変型がある。「一物仕立て」の句をリズミカルにするために、句の途中に切れを入れることがある。この場合、意味が途切れたり転換したりするのではない。「一物仕立て」は散文に近い俳句型式だが、句中の切れを入れることで韻文的になる。

「取り合わせ」は二つの素材を詠む。必ず句中の切れがあるが、明確に切らずに用言の連体形や連用形を使ってつなぐことがある。これにより滑らかになる。意味上は句の途中で切れるが、構文上は切れない。

切れの働きについては、省略や強調というより、余白が広がると考えた方がよいとのこと。「俳句の前後の切れは句を日常から切り出し、句中の切れは句を二つに切る」。切れにどんな効果があるかというと、「間」と「音楽」が生まれ、一語一語、ことに季語の味わいが深まる。

いいたいことを我慢して省略すると考えるのではなく、いうべきことだけを切り出す。そして切れは散文を韻文に変え、説明を音楽に変える。季語は切れによって普通の言葉から具体的な言葉に変貌を遂げるので、切れと一体になることでもっとも力を発揮する。

本書では、俳句を詠むときに大事な三つとして、「わかるように詠む」「すっきりと詠む」「いきいきと詠む」を挙げている。「わかるように詠む」については、「一物仕立て」では一句の内容がわかるように、「取り合わせ」では二つの素材に加えて、二つの素材の関係がわからなければならない。

「すっきりと詠む」とは、詠む過程でいろいろ工夫し推敲を加え、すっきりとした単純な姿にしあげること。とくに説明や理屈を持ち込まないように注意しなければならない。矛盾するようにもみえる「わかるように詠む」と「すっきりと詠む」を両立させるのが、切れ。そして「いきいきと詠む」は、「描こうとするものの生命観と存在感をしっかりととらえること」。

「あとがき」にも書かかれているが、本書の例句には芭蕉の句が数多く用いられている。著者は、芭蕉こそ昔も今も唯一の規範と考えているようだ。芭蕉は随一の俳論家でもある。

長谷川櫂氏の著書『決定版 一億人の俳句入門』は、俳句の総論。各論についてさらに詳しく書かれた、『一億人の季語入門』」や『一億人の切れ入門』などの著書も上梓されている。

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